木の中でものがたりが動きだした ~ hisari story

版画喜んでくれるかな…

うちの前には畑がありました。うちのうしろの竹やぶに覆われた小さな山には、怖くて入ることができませんでした。
友だち大勢とにぎやかに過ごすよりは、お父さんとお母さんの畑を手伝ったり、一人で遊んだり、あとは、庭に生えていた草とおもちゃのやかんで、四つ上のお姉ちゃんとお茶淹れごっこをして遊んでいました。
ピアノとか塾とか、お姉ちゃんがしていた習い事は、同じようにやりました。お姉ちゃんが褒められているのを見て、自分から「行く」って言ったら喜んでくれるかな、と。「やりなさい」って言われたことは、たぶん一度もありません。その一つに版画があったのは、お父さんもお母さんも版画家だったからです。

色いろいろ

幼稚園のときに初めて、年賀状で羽子板遊びの絵の版画をつくりました。摺って紙をめくってみたらちゃんと色がついていてびっくりしました。最初は紙を切り貼りした紙版画だったのですが、お母さんが「やってみる?」と彫刻刀を持たせてくれ、一緒についてもらいながら木で彫りはじめました。
「緑にちょっとだけ茶色を入れるといいのよ」
お母さんに教わって、試してみると、緑とも茶色とも全然違う新しい色ができました。意外な色と意外な色を混ぜ合わせると色はどんどん変わっていく、「この色はどうだろう?」「こっちも足してみようかな」、その発見が楽しくて仕方ありませんでした。

ちょっとわかってきた

版画のために、絵も意識して描くようになりました。お父さんとお母さんが版画の写生に出かけるのについていって、いろいろな描き方を教わりました。
そのうちに、お母さんが自分の版画の下絵から色つけ、それぞれの段階で、反対に「どう思う?」と聞いてきてくれるようになりました。
「ううん…花、こっちにあったほうがいいんじゃないかなぁ」
モチーフの配置とか、ここにこういうボカシがあるといいとか、基本的な法則や考え方がいつの間にか身についていって、ふと、自分でも「ああ、なんかちょっとわかってきたかも」と意識したときには、初めての羽子板の版画からもう随分と長い時間が過ぎていました。

それが木口木版

二十代も終わりに近づいていたある日、何の気なしに手にした絵本の挿し絵に目が留まりました。細い線で細かく描き込まれた「ものがたり性」のある絵。自分でもやってみたいと思ったけれど、その絵を描いた銅版画は、薬品を使ったり機械が必要だったり、なかなか気軽にできるものではありません。諦めきれずにあれこれ調べていくうちに、木版画でも細い線で細かく描き込む技法がある、それが、木口木版でした。
小さな版木の丸の中に一つのものがたりをつくりこんでいく。
版木という限られた宇宙にいろいろなものが込められる。
“木の中のものがたり”
「これだ!」

見つけて離れてそしてまた

自分が考えていたことに合う表現がやっと見つかった、ただそれだけで足を踏み入れた木口木版の世界。だけどそのやり方がわかりません。
以前スケッチした夕焼けの海の絵で、試しに木口の版木を彫ってみました。お父さんに手伝ってもらって、でも専門の技法ではないからよく分からないのはお父さんも同じ、凹版なのか、凸版なのか、絵の具はこれでいいのか…そうこうしているうちに、新しく勤めた仕事が忙しくてしばらく版画から離れました。けれど、忙しすぎて体調を崩してしまい、結局仕事を辞めることに。心と体を休めながら、「手先を動かしたほうがいい」と言われてふと目についた、彫刻刀。
「また、やってみようか」

初めての「できた!」

とにかく、焦らずにゆっくり進めようと思いました。前はよく分からなかった木口木版の技法も、少しずつ、ゆっくり覚えていきました。
庭の小鉢に雲間草の花が咲いていました。植物だけより何か動物もいたほうがと小さな豚が顔を覗かせて、一匹だけじゃ寂しそうだともう一匹、「この二匹はどういう気持ちかな?」、二匹の豚のものがたりが動きはじめました。絵を描いて版木に彫って色をつけて摺って紙を返して作品を見たとき、
「できた……!」
幼稚園からずっと版画をやってきて、初めての感触だったかもしれません。
実質的なデビュー作の完成。日本版画会展の奨励賞をいただきました。

世界が広がっていく

その後も、焦らずゆっくり新しい作品に取り組むかたわらで、小物をつくりはじめました。もっと気軽に身近に感じてもらえたらと、自分の手摺りの版画和紙を使ったアクセサリーとか照明とか。
例えばイヤリングのモチーフに自分の版画から「ここを使ってみようか」と切り抜くと、そこにまた一つの世界ができていきます。間違いなく、これは違う作品づくりでした。
こうした小物づくりのワークショップも主催するようになりました。参加者のワークを見ながら、「へぇ、その作品にその色つけるんだ」と、自分だけでは思いつかなかった新しい発見、可能性の広がりにまた次がつくりたくなる、そんないいループが回っていくのを感じます。そうやって自分が楽しめるもの、自分が身につけたいと思えるものをつくっていきたい…

木の中のものがたり MORE

2014年、ローマを旅したときに目にした景色をスケッチして、でもそれをどう自分の木口木版の世界に落としたらいいのか、現地で胸に広がった想いがなかなか版画に現れてこない、初めてのもどかしさを知りました。
もっともっと版画の技術を極めていって、もっともっと表現の幅を広げていきたい…

自分が大切にしている、自分にしかない“木の中のものがたり”を、より伝えていけるように。

(文/物語屋